【空港にて】薄く引き伸ばされた時間とそこにめぐる回想という人間ドラマ【読書感想】
電車の中などで、ついとなりや前の人のスマホをの画面をよく見ます。ふと目に入るとかじゃなくてこの人は今なにをしてるんだろうと、ふと見ている風を装って観察するのです。以前は「我求上裸」と女の子に朝からラインしているイケメンがいたのですが、この前はフェイスブックやラインをひとしきり見まくっている男の人がいて、ホームボタンで画面を戻した時に、フェイスブックやツイッターやラインのようなものが入っているカテゴリ画面に戻ったのですが、そのカテゴリのタイトルが「社交」。なるほど。と思いました。
こんばんは。コマツです。
ゴールデンウィーク最終日に朝から本屋に駆け込み、100円の棚を漁ってきました。中古で買うのはいいのですが、あの値段のシールをうまく剥がせなくて、しかも100円の本となると致命的に汚かったりするのですが、それを掃除するのに今回はじめてシリコンスポンジを導入したところ、表紙が破けて穴が空いてしまいました。やはり消しゴムとセロハンテープ意外に選択肢はないのでしょうか。いっそ表紙なんて取ってしまおうか。
そんなこんなで『空港にて(村上龍)』を読みました。
とりあえず買うものに困ったら村上龍は安パイな気がします。苦手でないかぎりはまず裏切られない気がします。『半島を出よ』みたいに長いやつでなければ。
とにかく渋い。そんな短編集。
村上龍の短編というのを初めて読みました。コレがまたなかなかに渋い。暗いとかグロいとかヤバいとかハッピーじゃなくて、とにかく渋い。あらすじにもあるようにすごく短い時間。30秒から15分位の時間をヌーっと引き伸ばして、描写をとてもスローモーションに描く。その間に語り手の回想や思考が入り込むことでそれが余計に引き伸ばされていきます。
記憶とか思考の中の時間の流れについて。
ある光景を見て記憶がフラッシュバックして一瞬でいろんな思いが駆け巡ったり、記憶が再生されてたりってことがあると思います。それを全部文字にしたらこうなるよっていう感じの短編集なきがします。
このスタイルはなんとなく『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(村上春樹)』の一節に出てくる百科事典棒の話を思い起こさせました。
あなたの肉体が死滅して意識が消え朽ち果てても、あなたの思念はその一瞬前のポイントをとらえて、それを永遠に分解していくのです
ここでは朽ち果てはしないけど、思念は永遠に分割できるという可能性を示唆しているように感じます。おじいちゃんがヨーグルトに手を伸ばしてからかごに入れるまでの間に、カラオケで曲が始まってから歌詞をワンフレーズ歌うまでの間に、人はいろんな事を考えて、その時間以上の過去の記憶を巡らせることができるのかもしれません。
村上龍のこういったテイストのものにしては最後はまだ、温かい終わり方のような気がします。とにかく渋い。そんな短編集でした。
おやすみなさい。
【ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて】記録の暖かさと、あふれる美しさにため息が出る【美術館】
休みということもあり、天気も良くて暖かかったので先日埼玉近代美術館まで自宅から自転車で行ってきました。先月くらいに自転車を新調しまして、あの例の速いやつ。クロスバイクです。でもそれからあまり乗ってなくてちょっともったいなかったので片道10キロ弱の道のりを自転車で行ってみました。有酸素運動、芸術鑑賞、有酸素運動。なんてストイックな休日なのでしょう。
こんばんは。コマツです。
というわけで埼玉近代美術館に行ってきました。『ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて』を見てきました。前回のオペラシティに続きまたも写真展です。
前回はコマツ的にはあまりピンとこなかったのですが、写真やってる友達はやっぱり楽しかったということで、なかなか難しい物があります。しかし、「ポートレートより動物とかの写真のほうが良かった」となった時は少し安心しました。
7歳からの「記録」
「私は愛を込めて写真を撮ります。
そして芸術作品を作ろうと努力します。
しかし、何よりもまず自分自身のために作るのです。
それが重要な点です。
そのうえで同時に芸術作品となり得るのなら、素晴らしいことです。(ジャック=アンリ・ラルティーグ)」
今回のラルディーク展はどちらかと言えば記録のための写真に近いイメージがあります。7歳からカメラをもち、楽しいこと、幸せな瞬間を記録する、写真に収める為に写真を撮り続けてきたということもあり、なかなか心温まる写真が多かったように思えます。ヴィジュアル重視の完璧に作り上げた構図というよりも楽しい時間の面白い瞬間をありのままに収めている感じがして、そこから音や、匂いなんかが感じられるようなヴァイブスたっぷりの作品が多かったです。アルバムの復元も展示してあるところからも、芸術やヴィジュアルというよりもやはり記録に重点を置いていることが伺えます。
この展示はラルディークがカメラを与えられてからの作品から展示してあります。彼のカメラをお父さんが使って撮った写真にはじまり、お父さんに使い方を教わりながら撮った写真、皆でプールに行った時の写真など、日記のフレーズのようなタイトルと共にそれらの写真が展示されています。
爆発する美しさと色彩への喜び。
そして年をとるに連れてそこにだんだんと美しさが含まれてくるのを感じ取ることができます。記録としての暖かさはそのままにヴィジュアルのクオリティがどんどん上がってくるのです。
展示の後半にカラー写真の項目があるのですが、もうそこまでくると美しさのあまりため息が出ます。今までモノクロ作品ばかりだった所にワッと色彩が溢れてきます。その色の美しさたるや。圧巻です。彼も写真に色を移せることに絶大な喜びを感じていたのではないかというくらいに色彩の優しさや暖かさ、鮮やかさが爆発します。
このラルディークが生きた時代、写真に収め続けた時代というのが個人的にとても好きな時代で、それもあってだいぶひいき目になってしまうのですが。本当に美しく、暖かく素敵な展示でした。
おやすみなさい。
【ダンス・ダンス・ダンス】五反田くんの役割を勝手に考察し、作者史上最も可愛いキャラを愛でる【読書感想】
ちょっと前からアップルミュージックというものをはじめました。あまりにも楽しすぎて3ヶ月トライアルの後課金余裕だったのですが、いかんせんメジャーな邦楽が少なすぎるんですねぇ。宇多田ヒカルも椎名林檎も山下達郎もないのです。仕方ないから、洋楽とマイナー邦楽のオルタナティブとエレクトロばっかりあさってるのですが、そうなると必然的にカラオケのレパートリーがなくなってしまうというのが今の悩みです。
こんばんは。コマツです。
『ダンス・ダンス・ダンス(上)(村上春樹)』読み終わりました。おそらく三周目くらいだと思います。『羊の巡る冒険』に続く、羊四部作?の完結作です。
あれから四年。
前半は『羊をめぐる冒険』から四年後の主人公の今と、新しい世界のルール提示から始まります。新しい世界のディーラーは羊男です。今回求められるのは冒険での立ち回りではなく、うまく踊ること。完璧なダンスステップです。前作で何もかもをやんわりと静かに失ってしまった主人公が再度奇妙な世界につながってゆく。そんな作品になっています。
五反田くんと僕の関係を勝手に考える。
今回は今までの作品と違い、キャラクターにしっかりと固有名詞が与えられています。主人公の「僕」以外は。主人公にだけ名前が与えられていないのです。まわりのキャラクターが執拗に名前を与えられてるところを見ると、主人公が誰からも名前を呼ばれないあたりが余計に浮き出てきます。
なんとなくそれは、ドラクエやポケモンの主人公を連想させます。他のキャラクターはペラペラ喋るのに主人公は一切言葉を話しません。その極端な差がなんとなくこの主人公とリンクする気がします。
そして名前を与えられているキャラクターの一人に「五反田くん」というキャラクターがいます。彼の無個性っぷりと言うか、自主感のなさはなんとなくまどマギのキュウべぇや仮面ライダーのショッカーを連想させます。概念をまわりから押し付けられて自ら選択肢ない感じは、物語の悪役によくあるスタイルだと思います。ただ、五反田くんが誰に操られていたのかはわかりませんが。彼のこの量産型クローンっぷりはやけに上に書いた悪役キャラにリンクする気がするのです。
ここで、主人公と敵の構図が浮き上がってきました。あら不思議。
村上春樹史上最強に可愛いキャラ。
と、本当はそんなことはどうでもよくて、この作品には「ユキ」というむちゃくちゃに可愛いキャラクターが出てきます。おそらく村上春樹作品のなかで一番可愛いキャラクターです。ちょっと問題のあるこの美しい少女は、ハードボイルドがちょっと薄まってきた主人公の心を揺さぶります。惑わすとか、混乱させるとかではなく、しっかりと主人公に大人としての考えを述べさせたり、物語のキーにもなってくる子どもと大人の差みたいなものをしっかりと主人公に提示する重要な役割を担っているのですが。
とにかくこの子が可愛い。ウォークマンを聞いて、バンドT着て、ちょっと感じやすくて、目が合うと微笑みかけてくる感じがとても可愛い。主人公と一緒にいるうちにだんだんと主人公に打ち解けていき、終いにはビーチボーイズを一緒に歌っちゃうところなんてチャーミングすぎてハゲそうになります。
下巻ではそんなユキちゃんとハワイに行ったり、物語が進行して若干シリアスになったり、主人公がやっと自分の居場所を見つけたりします。そして羊四部作が完結すると。楽しみです。ハワイ。いきたいなぁー。ハワイ。
Paul Simon - Still Crazy After All These Years
おやすみなさい。
【読書】メモ代わりに読みたい本まとめる5/5【予習】
ついにゴールデンウィークも終わろうとしておりますが、いかがお過ごしでしょうか?え?「俺は金曜も有給とってるから日曜まで休みなんだ」って?わかった。わかったから黙って肛門からテキーラでも飲んでいてくれたまへ。いかがお過ごしでしょうか。少なくとも一日目にパンティーを買いに行って、二日目に二時間ほどカラオケして、三日目に散髪に行く。そんな連休よりは遥かに充実した連休を過ごせたことと思います。
こんばんは。コマツです。
かくいうコマツも少なくとも、一日目にパンティーを買いに行って…から始まるような連休は過ごさずに済みました。というよりもとても充実した連休を過ごせました。ただその充実に比例して溶けたお金の量も充実してしまったのですが。
ゴールデンウィークの合間にドラクエをしすぎて、全く本を読んでいません。大変です。書くことがないのですから。
ゴールデンウィークの合間に積み本をほとんど読んでしまって、ちょうど読み物が切れそうなので、読みたい本でもまとめようと思います。
そういえば読みたいよね。コレ。
伊坂幸太郎、『SOSの猿』から読み始めて結構楽しく読めるなと思える作家の一人なのですが、いざ本屋の棚を前にすると「とりあえずいつでも読めそうだからおいておいて…。」てなってしまうのはコマツだけでしょうか。どこの古本屋の本棚にもある。それはイコールやっぱり超人気作家だってことですよね。そうですよね?ファンの中には「伊坂幸太郎の本は順番に読め」という方もいるみたいなので、今更感はありますが、改めて最初からチャレンジしてみようかなと思います。読む順番にルールがあるっていいですね。464ページというのはなかなかに骨が折れそうですが…。
戯曲もちゃんと読んでみようと思うの。
『サロメ』をこの前読んだのですが、そこからこの読みやすさ、楽しさに魅了されてしまいました。「こんなにページ数が少なくてさくさく読めるなんて、ブログに書くものに困ったときにぴったりじゃないか!」などとは口が裂けても言えませんが、今まで戯曲というものを一度も読んだことなかっただけにとにかく新鮮なのは確かです。というわけで、ポピュラーどころからちゃんと読んでいこうということで、名前だけは誰でも知ってるこちら。王道ストーリーで読みやすいとのことで読み始めにはうってつけかも。
変態とタイマンをはる。
本人が「名刺代わり」にしたいと言っているこちら、『スクラップアンドビルド』もいいけど本当はこっちなんだ!ということでしょうか。以前『ミート・ザ・ビート』を読んであまりにも変態とかけ離れていて、世間一般に言われる彼の「変態」の片鱗を拝むことができなかったので次はその「変態」の「名刺代わり」とされている作品にチャレンジしてみようかと思います。間はないのかと言われれば、間はないです。
中間的な物が存在しないところには、中間もまた存在しないの。
おやすみなさい。
【サロメ】サイコなシナリオと妖しい挿絵、美しい言葉で彩られた偏愛【読書感想】
ゴールデンウィーク後半戦が想像以上に充実しております。朝八時に起きてドラクエ。昼からは肉フェスにおもむき、帰りにダーツして帰る。そんなゴールデンウィークをまさか自分が過ごしているなんて誰が想像できたでしょう。そしてまた帰ってドラクエ。おや、本も読んでいないし、ブログに書くことが何もないではないか。というわけで只今0時45分。お酒も多少入っています。
こんばんは。コマツです。
『サロメ(ワイルド)』読みました。急いで読み物を探していたら、本棚の奥から青山かどこかの古本屋で100円で買ったまま読まずにいた薄い本があったの、やっとのこと読んでみました。想像以上にあっさり読めて、それでいて面白い。戯曲童貞はとてもスムーズに卒業できたようです。
戯曲ってなんぞ?
といっても、ここでもまた不勉強の化身であるコマツにしてみると「戯曲ってなんぞ?」となるわけです。なんとなく台本っぽい構成だって事はわかるのですが、それしか知らないのも事実。せっかくなので調べてみました。
戯曲は、登場人物(キャラクターとも言う)と、彼らが舞台上で行う行為(アクションとも言う)によって構成される。登場人物の行為は通常、連鎖反応的に描かれる。つまり、ある行為が次の行為を誘発し、その繰り返しが劇の始まりから終わりまで続く。ただし、シュルレアリスム的世界観に基づいて書かれた戯曲など、手法によっては行為が連鎖的に発生しない場合もある。
舞台上で起きる行為は、舞台上実時間(劇世界上の時間ではない)の時系列順に記述される。その行為の記述方法には、ほとんどの場合、台詞及びト書きが用いられる。しかし、実際のところ、戯曲の記述方法自体には厳密な決まりはない。
あんまりよくわからないけれど、おそらくそういうことなのだろうと漠然と理解しました。ト書きというのも改めてどういうものかやんわり理解できたし良しとしましょう。
ビアズリーもいいけど、内容も負けじと美しい。
そもそものきっかけは、授業でやったビアズリーの『サロメ』の挿絵が綺麗だったということで買ったのですが、当時は結局挿絵だけパラパラと眺め、あらすじさえ読まずにしまってしまったのですが、挿絵とかそういう問題じゃないのかもしれません。
ほとんどセリフのみで構成されているものであるからこそ、全編においてセリフ回しの美しさや言葉選びの感覚が伝わってくるように感じます。翻訳ものであれば、訳者の日本語の選び方なども非常に重要になってきますね。
そしてこの『サロメ』非常に偏愛に満ち満ちていながらも、その歪んだ愛を伝えるセリフはとても情熱的で美しいものであふれています。正直内容は頭飛んじゃってる系の今っぽく言えばサイコな感じなのですが、それを綴る言葉が美しいとなるとそれはもう魅力でしか無いです。そして合間に出てくるビアズリーの挿絵がまたなんとも妖しい。
とにかく、言葉の美しさが軽快にするすると入り込んできます。わりと軽く読めてしまう割にイメージがとても膨らんでくる。戯曲というのがどういうものか、一冊読んだだけじゃさっぱりわかりませんが。また一つ面白いジャンルの片鱗を見たような気がしました。
おやすみなさい。