【九マイルは遠すぎる】想像や予想のみで物を語る楽しみについて【読書感想】
最近仕事から帰ると眠くて眠くて仕方ありません。今年に入るまでここ数年花粉とは無縁だったのですが、今年に入ってからは熱が出たり、目が痒かったり、くしゃみが出たりします。まだ鼻水がたれないだけマシなのかもしれません。あの光景のみっともなさといったら。
こんばんは。コマツです。
以前好きなアニメに『氷菓』という作品がありまして、その話の中に主人公と「チタンダエル(ヒロイン)」がひたすら部屋の中で推測と想像だけで事件を推理するって話があり、「チタンダエル」の可愛さも相まってとても好きな話の一つです。
『九マイルは遠すぎる(ハリィ・ケメルマン)』はそんな安楽椅子探偵ものの短編がいくつか詰まった短編集です。
想像で物を語ることの楽しさについて。
この本にあるありとあらゆる推理は聞いた話を元に想像と推測のみで推理し、結果大正解!という物語の構造になっています。実際現場にも行かなければヘタすれば犯人の顔すら知らない。ただ身の回りの情報や経験則、人から聞いた話をパズルのように組み合わせて、「あれ、その話なんだけどさ…。それってこうじゃね?」となり、実際に警官が言われた通りにしてみるとなんとびっくり。犯人が捕まるんですね~!
いうなれば終始冗談のような話の流れですね。
終始冗談と言い換えてしまえばそりゃあ楽しいに決まっています。推理しないにしても、言葉の語源や、システムの起源、電車の目の前に座ってるアイフォーン見ながらニヤニヤしてる人のついさっきまでの行動など、テキトーに想像してそれっぽい物語つけるのって本当に楽しいですよね。
あの人アイフォーン見てめっちゃニヤニヤしてるけど、女の子をデートに誘うメールしてOKでももらえたのかな。いや、渋谷で二人で飲んだ帰りで、
「今日は楽しかった~!ありがと(絵文字)二宅君(仮名)の話面白かったし、また一緒にご飯行きたいなぁ~(ハートの絵文字)」
みたいなメールが来たのかもしれませんがそんなことはどうでもよくて。もしそれが当たったら、嬉しいし驚きます。そして、そんな空論が展開されてる間の、どんな奇抜な発想でもすべてが地面に足がついている、しっかりとした理論になっている安心感。
そういったのも助けて、もう脳内ドーパミンがドッバドバですよ!
Beirut performing "Nantes" Live on KCRW
おやすみなさい。
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