【六本木クロッシング2016展 僕の身体、あなたの声】サブカル、欠損、擬人化、ジェンダー…。現代美術に見る社会の今。【美術館】
美術館に行くってだけでもういくらか疲れてしまう。大体出勤と同じくらいの時間をかけて、美術館へ向かい、座るのも惜しいくらいにひたすらに作品を鑑賞する。それが難解であれば難解であるほど疲れるし、もちろん作品の量なんかも関係してくる。それが結局なにになるって、よくわからないし、決して安いものでもない。好きじゃなきゃただの苦行である。好きでも苦行かもしれない。
こんばんは。コマツです。
こんなにフレッシュな記事を書くのは初めてかも知れない。と、いうよりも会期初日に美術館へ行くというのがそもそも初めてかも知れない。
と、いうことで『六本木クロッシング2016 僕の身体、あなたの声』行ってきた。
浸透するサブカルチャー
まず感じたのがある種のサブカルチャーが今の芸術にとても反映しているのではないかということだ。チュールやレースを手で継ぎ接ぎされたぬいぐるみや、ものを人に見立てて演技をさせる、擬人化のようなものが見られた。
チュールやレースと言えば渋谷、原宿界隈の一部の女子達が好んできているような古着のテイストを思い起こさせる。継ぎ接ぎもケイスケカンダや、アンダーカバーを連想させる。作者本人の趣味やトレンドというものもあるのだろうが、こういったテイストがアートという形で森美術館などという大きな場所でお披露目される日が来るとは。
もう一つはモノに動きとスピーカーによる音声を付けてあたかも人であるかのように演じさせるというインスタレーションがあったのだが、これはまさしく擬人化なのではないかと思う。ものを人の形にかたどるのではなく、それ以外の手法で人に見せる。シュールではあるが、幼いころままごとや人形遊びなどしていた人的にはもしかしたらちょっと懐かしいかもしれない。
そういった文化、流行的視点からだんだんと社会的な方向へ展示が進んでいくのだが、社会問題がありとあらゆる手段で表現されている。沖縄、福島、朝鮮、戦争、ジェンダー、などだ。その中でも突出してヤバいものが最後の最後に控えている。
多様性。とは何なのだろう。
ジェンダーを科学的な側面からとらえた作品で、科学の進歩に伴い卵子を精子に変換し女性間で子どもを授かることができるようになった時それはどうなるかを、レジュメと合成写真でと映像で表現しているのだが、合成写真を見た時に走った違和感のようなものが、ジェンダーに対する違和感なのか、合成写真の人物に対する「不気味の谷現象」なのか、はたまた別のものなのか。
ジェンダーに対する切り口も新しいもので、非常に前向きな企画。なのになぜかゾッとしてしまう。『〈不〉可能な子供(長谷川愛)』という作品群が拝めただけでもそうとう価値のある展示だったのではないかと思う。いつかあそこで感じた違和感が拭い去られるような社会が来ることを願う。
Depeche Mode - Dream On (Video)
おやすみなさい。
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