【ダンス・ダンス・ダンス】「僕」、「ユキ」、「五反田君」この三人にスポットを当ててわかってないなりに考察してみる。【読書感想】
5月も終わります。
本来であれば5月に読んだ本のまとめをしたいところなのですが、5月は面白いと思った本がほとんどありませんでした。
どれも素晴らしい作品なんだろうし、コマツがわかっていないだけなのは重々承知なのですが。いやはやどうして。全く改めて紹介したいと思えるもんがりません。
やっぱりちゃんとそれなりのお金を払ったものでなくてはダメですね。
とはいいつつ、100円で買った『永遠の0』にいまめちゃくちゃハマっているのですが。
こんばんは。コマツです。
と、いうことで今月唯一読んだ村上春樹作品の話をします。
『ダンス・ダンス・ダンス(村上春樹)』です。
といっても普通の感想は以前にもちょっと記事にしているので、今回は登場人物三人。
主人公の「僕」。「ユキ」、「五反田君」の三人にスポットを当ててちょっとした考察でもしてみようと思います。
なぜ「中学生」なのか。
まずこの小説のキーワードの一つに「中学生」があります。
中学生というと、アニメだとエヴァの碇シンジ、セーラームーンの月野うさぎなども中学生ですね。
なぜ中学生なのか。高校生じゃダメなのでしょうか。
例えば女性は16歳から結婚することができます。そして中学生は義務教育です。
保護が必要といったような線引で言うと中学生と高校生の間には最初のボーダーラインがあるように思えます。
一番最後の子供時代の象徴のようなものでしょうか。
この中学時代のことを僕と五反田君は常に語り合い、ユキは中学生。13歳という状況に適応できずにいます。
青春物語の完結。
次にこの『鼠三部作』+『ダンス・ダンス・ダンス』は青春小説的な側面がとても強いです。
このシリーズは『風の歌を聴け』から始まる僕の青春が『ダンス・ダンス・ダンス』で完結するという流れになっています。
青春との決別=大人になるということ。
これは『羊をめぐる冒険』のテーマの一つなのですが、『ダンス・ダンス・ダンス』でもこの公式は使えるので今回はこれを元に読み解いていきます。
青春小説の完結。青春の終わり。すなわち主人公である僕が大人になるということを指しています。
大人の階段を駆け上がる「僕」
『ダンス・ダンス・ダンス』では僕が望む望まないにかかわらず急速に大人になっていく様を描いています。
それを助けるのが我らがユキです。
ユキを通じて僕は今までのシリーズには見られないような常識的な見解を見せてきます。教育について、保護者と子どもについて、人生について。
五反田君と中学時代に思いを馳せながら、中学生に説教したり、その親に意見したり。そういったものの積み重ねは僕が自らに大人の属性を提示しているように見えます。
ただ、青春の終わりは僕だけのものではありません。僕とはまた違う形で青春を終わらせる。五反田君も大人になりきれていない一人です。
大人になりきれないまま狂っていく「五反田君」
中学時代の同級生である五反田君。
魅力的であり過ぎるがゆえに中学時代には過度な期待を受け、それに応えるべく、周りに流されながら行動し続けてきた彼。常に人の意識の範囲内で生き続け、自らの意志でほとんど行動できないままに今に至っています。
それゆえに青春時代の殆どを自分のために費やせずに過ごしてしまい、大人になるために決別すべき青春を持っていないのです。
彼なりに、つかもうとした青春。例えばエレベーターを飛び越える胃薬のCMなどがありますが、それすらも結局はまわりに奪われ消費される始末。
そういったものが積もり積もった結果中学時代から緩やかに狂っていってしまいます。
最終的に彼は決別するための青春が見いだせずに、大人になれないままそのギャップに狂い自殺してしまいます。
僕は自分の影を殺すみたいに彼女を絞め殺したんだ。僕は彼女を絞めてるあいだ、これは僕の影なんだと思っていた。この影を殺せば僕は上手くいくんだと思っていた。でもそれは僕の影じゃなかった。
五反田君は大人になれない自分を殺すための一つの手段として、殺しを働いたのです。
身の回りの人間を自分の影、魂の一部と捉えるのであれば、僕のまわりで次々と人が死んだのはもしかすると主人公が大人になるための残り時間を知らせるものだったのかもしれません。
「ユキ」と「僕」。「青春」と「友達」。
そしてユキ。
彼女は五反田君と同じく魅力的で有り過ぎるという属性を持ちながら、そのせいで社会から孤立しているキャラクターです。
彼女の状況的にこのまま不投稿を続けていたら青春を見いだせないまま年を取り五反田くんと同じような末路を歩んでいたかもしれません。
彼女は僕の大人になるためのキーパーソンであると同時に、僕のおかげであるべき人生から脱線しなくても済んだのです。
僕が言いたいのはこういうことだ。友達は金では買えない。ましてや経費では買えない。
このセリフは僕と五反田君、ユキの関係を象徴しています。
僕とユキは友だちになることができた。しかし僕と五反田君は真に友達といえる関係になりきれていなかったのではないか。ということです。
友達になりきれなかったために五反田君は最後まで僕に自らの過ちを告白することができなかったのかもしれません。
世間一般的に友達とは青春を語る上でかけがえのない要素となるのです。
この三人の属性を踏まえた上でもう一度読み進めると、物語にさらに深みがますように思えます。
これが果たして正解なのかと言われれば正直自信はありません。まだまだ語ることのできる要素は数多くありますし、ここで語ったことも終始的はずれだったかもしれません。
しかし、こういう本の読み方も楽しいよ。とそういうことで手を打っていただけないでしょうか。
おやすみなさい。