【雑記】本棚に全然女性作家の本がない。【読書】
このままこのブログの記事作成画面を開いたままなにもせずにもう一時間近く経とうとしているので、とりあえず「真っ白な画面を見つめたまま一時間近くたった」ことを書いてみる。というのも作家特有の書いては捨て、書いては捨てとか、なにも情景が浮かんでこないとか、情景は浮かぶのに指が動かない。とか編集者に缶詰にされるまで書いてやらない。とかそういったかっこいい類のものではない。本も読んでいない、美術館にも行っていない、ニコ動のマイナー動画を漁ってすらない。書くことがなにもないのである。その上連休の最終日という名の疲れ(この記事は21日月曜日に書いている)と、明日からまた平日が始まるという絶望。とが相まって、とにかくもう疲れた!
こんばんは。コマツです。
そんなこと行っておきながらも「50件までは毎日更新する。」と目標を決め、それを人に言いふらしてしまったあたりの意地もあるので、ない頭を絞って今この記事を書いている。だんだん手が温まってきた。そして記事のストックはもう底を尽きた。
女性作家の作品の雰囲気にもやがかかる。
昨日『オートフィクション』の読書感想を書いている時にふと思った、
「『ホテルローヤル』もなんとなくにたような雰囲気があった気がするけど(貸してくださった方、似てねーよ!って思ってたらすいません。)これが女性作家独特の雰囲気なのか?」
という疑問。実際コマツの本棚にある女性作家の本といえば、『上海ベイビー(衛慧)』、『ホテルローヤル(桜木紫乃)』、くらいである。正直自分でも今驚いている。
サリンジャーって男か。と。
そういえば『上海ベイビー』も結構上の2つに似たような雰囲気がある気がする。と言っても途中までしか読んでいないのだが。コントラスト強め、光度低めのギラついて且つ暗い。みたいな雰囲気がある。夜のシーンばっかりだからかな?
でもクラブ、セックス、酒。みたいな作品なら『限りなく透明に近いブルー(村上龍)』があるが、それと『上海ベイビー』、『オートフィクション』は全く別物にしか見えない。いや、別物なのだが。当たり前なのだが。
書き手にも、読み手にも性差があるのか?
去年の暮に新潮文庫が「紅白本合戦」というキャンペーンをしていた。
紅組、女性に売れた本
白組、男性に売れた本
をそれぞれランキング形式で発表するものだ。なにがどう合戦なのか、よくわからないが、この結果が結構面白い。
『噂の女(奥田英朗)』以外すべて同性の作品を選ぶという結果になっている。
これは同性への共感とかそういうものなのだろうか、少なくともこの結果だけ見ても文章に性差は出るのかもしれない。
まぁこんなこと書いてもやもやしているなら『冷静と情熱のあいだ』とか『左岸』『右岸』とか読んでもっと考えてみなさいよ。って話なんですが。いかんせん疲れているので今日はこの辺で。
とりあえず『上海ベイビー』もう一度トライしてみようかな…。
James Blake "Klavierwerke" live in Gdańsk
おやすみなさい。
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