【永遠の0】部落の伝説のように語り継ぐべき戦争とは。【読書感想】
先日『セーラームーン展』に行ってきました。週末にトライしてあまりの混雑に諦めて、平日に出直したのですが、とても懐かしく、楽しい展示でした。
というのもセーラームーンはアニメ200話と劇場版をすべてビデオで見ていまして。
最初に始めたブログで「セーラームーンはなぜセーラー服を着て戦うのか」という考察を書いて、フィリピン人から
「セーラームーンサイコー!日本の制服はかわいいよね!フィリピンの制服はダサくて嫌になっちゃう。」
みたいなコメントが来たのを覚えています。
こんばんは。コマツです。
地元の古本屋で100円で売っていて、映画になるくらい有名な作品だし手を出しづらかったのですが100円ならばということで買ってみました。
クライマックスを会社で昼休みに読んでいなかったらおそらく号泣していたと思います。
史実と伝承のギャップ
大戦については歴史の授業を半ばウトウトしながら受けたくらいでほとんど薄っぺらな知識しかありません。一般教養として教わったくらいで、詳しいこととかになるといまいちピンとこないのも事実です。
もちろんこの本を読んだからといって大戦にすこぶる詳しくなるとかそういうことは一切ないと思います。授業の補足になるかならないかそんなもんです。
しかし、授業などでいくら史実を勉強したとしてもわからないことってあるかもしれません。
その一つにはその時代、その場所に生きた人々のリアルな心境、感情の変化、苦しみがあると思います。
この作品にはそれらの感情が一人の人物を軸にひしめき合っています。
そのさまは多種多様で、大戦下での人間ドラマのようなものがかなり細かく描かれていて、本当の苦しさというのは当事者にしか到底分かり得ないものではありますが、少なくともかなり感情に訴えてくるものがあります。
戦争経験者が高齢から少なくなっている中、こういった人から人に語り継がれるということはとても貴重になってくると思います。たとえ物語という形をとっていたとしてもこういった語り継がれる系の文章というのはこれからより重要な役割を担ってくるかもしれません。
知識と現実のズレ
第二次世界大戦についての世間の認知と語られる状況とのギャップにもかなりゾッとするものがあります。
それまでは本気で信じていないにしても、帝国思想やら戦時中の日本の狂気みたいなものが日本を取り巻いている。みたいなことを授業で教わりました。
にわかに信じがたいですが、それ以外に情報が殆ど無いのも事実。そうだったのだろうと認識するほかありませんでした。だってテストに出るんだもん。
しかし実際はそんなことはなく、捏造されたり、共用されたり、歪められたりした記録というのも多くあったようです。
半ば強制的な特攻志願。検閲が入り本音の書けない遺書。訓練中に戦死した友人を弔うこともできない人権無視な現場。
史実通り帝国万歳と自らの命を差し出した猛者もいたのでしょう。しかし、そればかりが強調され、真に人の弱い部分がここにも存在していたというのを忘れてはいけない。
そういう意味でもしっかりと大戦を語り継ぐ必要性はあるのだと思う。
メディアのドキュメンタリーなどではなく、部落の伝説のように。
おやすみなさい。
【ダンス・ダンス・ダンス】「僕」、「ユキ」、「五反田君」この三人にスポットを当ててわかってないなりに考察してみる。【読書感想】
5月も終わります。
本来であれば5月に読んだ本のまとめをしたいところなのですが、5月は面白いと思った本がほとんどありませんでした。
どれも素晴らしい作品なんだろうし、コマツがわかっていないだけなのは重々承知なのですが。いやはやどうして。全く改めて紹介したいと思えるもんがりません。
やっぱりちゃんとそれなりのお金を払ったものでなくてはダメですね。
とはいいつつ、100円で買った『永遠の0』にいまめちゃくちゃハマっているのですが。
こんばんは。コマツです。
と、いうことで今月唯一読んだ村上春樹作品の話をします。
『ダンス・ダンス・ダンス(村上春樹)』です。
といっても普通の感想は以前にもちょっと記事にしているので、今回は登場人物三人。
主人公の「僕」。「ユキ」、「五反田君」の三人にスポットを当ててちょっとした考察でもしてみようと思います。
なぜ「中学生」なのか。
まずこの小説のキーワードの一つに「中学生」があります。
中学生というと、アニメだとエヴァの碇シンジ、セーラームーンの月野うさぎなども中学生ですね。
なぜ中学生なのか。高校生じゃダメなのでしょうか。
例えば女性は16歳から結婚することができます。そして中学生は義務教育です。
保護が必要といったような線引で言うと中学生と高校生の間には最初のボーダーラインがあるように思えます。
一番最後の子供時代の象徴のようなものでしょうか。
この中学時代のことを僕と五反田君は常に語り合い、ユキは中学生。13歳という状況に適応できずにいます。
青春物語の完結。
次にこの『鼠三部作』+『ダンス・ダンス・ダンス』は青春小説的な側面がとても強いです。
このシリーズは『風の歌を聴け』から始まる僕の青春が『ダンス・ダンス・ダンス』で完結するという流れになっています。
青春との決別=大人になるということ。
これは『羊をめぐる冒険』のテーマの一つなのですが、『ダンス・ダンス・ダンス』でもこの公式は使えるので今回はこれを元に読み解いていきます。
青春小説の完結。青春の終わり。すなわち主人公である僕が大人になるということを指しています。
大人の階段を駆け上がる「僕」
『ダンス・ダンス・ダンス』では僕が望む望まないにかかわらず急速に大人になっていく様を描いています。
それを助けるのが我らがユキです。
ユキを通じて僕は今までのシリーズには見られないような常識的な見解を見せてきます。教育について、保護者と子どもについて、人生について。
五反田君と中学時代に思いを馳せながら、中学生に説教したり、その親に意見したり。そういったものの積み重ねは僕が自らに大人の属性を提示しているように見えます。
ただ、青春の終わりは僕だけのものではありません。僕とはまた違う形で青春を終わらせる。五反田君も大人になりきれていない一人です。
大人になりきれないまま狂っていく「五反田君」
中学時代の同級生である五反田君。
魅力的であり過ぎるがゆえに中学時代には過度な期待を受け、それに応えるべく、周りに流されながら行動し続けてきた彼。常に人の意識の範囲内で生き続け、自らの意志でほとんど行動できないままに今に至っています。
それゆえに青春時代の殆どを自分のために費やせずに過ごしてしまい、大人になるために決別すべき青春を持っていないのです。
彼なりに、つかもうとした青春。例えばエレベーターを飛び越える胃薬のCMなどがありますが、それすらも結局はまわりに奪われ消費される始末。
そういったものが積もり積もった結果中学時代から緩やかに狂っていってしまいます。
最終的に彼は決別するための青春が見いだせずに、大人になれないままそのギャップに狂い自殺してしまいます。
僕は自分の影を殺すみたいに彼女を絞め殺したんだ。僕は彼女を絞めてるあいだ、これは僕の影なんだと思っていた。この影を殺せば僕は上手くいくんだと思っていた。でもそれは僕の影じゃなかった。
五反田君は大人になれない自分を殺すための一つの手段として、殺しを働いたのです。
身の回りの人間を自分の影、魂の一部と捉えるのであれば、僕のまわりで次々と人が死んだのはもしかすると主人公が大人になるための残り時間を知らせるものだったのかもしれません。
「ユキ」と「僕」。「青春」と「友達」。
そしてユキ。
彼女は五反田君と同じく魅力的で有り過ぎるという属性を持ちながら、そのせいで社会から孤立しているキャラクターです。
彼女の状況的にこのまま不投稿を続けていたら青春を見いだせないまま年を取り五反田くんと同じような末路を歩んでいたかもしれません。
彼女は僕の大人になるためのキーパーソンであると同時に、僕のおかげであるべき人生から脱線しなくても済んだのです。
僕が言いたいのはこういうことだ。友達は金では買えない。ましてや経費では買えない。
このセリフは僕と五反田君、ユキの関係を象徴しています。
僕とユキは友だちになることができた。しかし僕と五反田君は真に友達といえる関係になりきれていなかったのではないか。ということです。
友達になりきれなかったために五反田君は最後まで僕に自らの過ちを告白することができなかったのかもしれません。
世間一般的に友達とは青春を語る上でかけがえのない要素となるのです。
この三人の属性を踏まえた上でもう一度読み進めると、物語にさらに深みがますように思えます。
これが果たして正解なのかと言われれば正直自信はありません。まだまだ語ることのできる要素は数多くありますし、ここで語ったことも終始的はずれだったかもしれません。
しかし、こういう本の読み方も楽しいよ。とそういうことで手を打っていただけないでしょうか。
おやすみなさい。
【美術館】5月も末なので今月行った美術館を振り返ってみる【復習】
気づけば5月ももう終わろうとしております。
ゴールデンウィークでお金がすっからかんになって生活が苦しくなった5月。
ゴールデンウィークとディズニーランドが楽しくて仕事が身に入らなかった5月。
そんな浮ついた気持ちで仕事してたら見事にしっぺ返しを食らった5月。
そんな5月がついに終わってしまいます。完全に五月病です。
こんばんは。コマツです。
月末ということでまた例によって5月に行った美術館をまとめてみようと思います。今月は埼玉近代美術館やちひろ美術館など普段行かないような所に行ってみました。
板橋区立美術館?知らんそんなもん。
印象派ってなんだよ!ってここに来てやっと調べようという気になった展示です。
というのもルノアールを通じて、印象派というものに嫌でも、嫌でも対峙するはめになったからですね。
一人の人物にスポットを当てておきながらここまで印象派にどっぷり浸れるとは思いもしませんでした。
お陰さまで印象派のことをちょっと調べるいい機会になりました。
嫌でも印象派の良さを体感できます。印象派の押し売りみたいな感じですがその内容。美しさはピカイチです。8月までやっているのでまだまだ余裕で見に行けます。
温かい記録の美しさ。
写真展です。あまり写真というのはピンと来ないのですが、コレに関してはため息が出るほど素敵な展示でした。
展示される写真の殆どは記録、思い出のための写真だということ。
それが段々と年をとるにつれて進化していく様。
思い出の暖かさと、技術、テクノロジーが一つになったような終盤のカラー写真のコーナーは本当に美しさと暖かさにあふれていました。
あるいは彼の生きた時代にもコマツは魅了されていたのかもしれません。当時の衣装や雰囲気というものはやはり今作ろうとして再現できるものではないのだと思います。
コレを観に行かずにどうしろというのだ。
村上春樹が好きなのにコレを観に行かないとは非常に完全にどうかしていると思います。
イラストを通じて、あるいは音楽を通じて村上春樹の世界観を少しでも読み解こうという展示。
表紙のイラストや挿絵、そのイラストレーターと村上春樹の交流。本になるまでの工程。
それらを通じて村上春樹の作品、村上春樹という人物を除くといったような展示です。
表紙や挿絵によってより洗礼された雰囲気を放つものとしての本。そこに込められたこだわりや情熱。
そんな物語とはちょっと間をおいた距離から村上春樹を堪能することができます。
Hiatus Kaiyote performing "By Fire" Live at KCRW's Apogee Sessions
おやすみなさい。
【村上春樹とイラストレーター展】え、村上春樹が好きなの?じゃあ行かないでどうするの?ジャズ、活字、イラスト。ものとしての本。村上春樹の世界観に触れる【感想】
えー、一週間ほどブログを放置しておりましたこと、別に謝罪する必要はありませんね。
理由としましては、本を読むのにつかれた、ディズニーランドが楽しかった。残業などで書く気になれなかった、ブログの存在を忘れていた。などまぁいろいろあります。
そんなことより、七、八年ぶりくらいにディズニーランドに行ったのですが、すこぶる楽しかったですなんですかアレ。夢の国ってまんざらでもなさすぎますよ。楽しすぎました。
こんばんは。コマツです。
ちひろ美術館で開催中の『村上春樹とイラストレーター- 佐々木マキ、大橋歩、和田誠、安西水丸 -』に行ってきました。
ちひろ美術館ははじめって行ったのですが、かなりこじんまりした敷地なのですが、カフェーがあり、テラスがあり、緑があり、かなりいい雰囲気の美術館でした。
「ちひろ美術館」なんて変わった名前だなぁ。なんて思ってたのですが、「いわさきちひろ」の美術館なのですね。絵本の原画などがメインの美術館だそうです。
展示は「いわさきちひろ」の展示から始まります。そこまで多くはない展示をさっと見て部屋を移ると、今回のお目当て『村上春樹とイラストレーター展』が始まります。
ジャズ、イラスト、エッセイ。村上春樹という人物を体感する。
最初は村上春樹の年表やらの情報が載った大きなボードがある廊下を通るのですが、進むにつれてだんだんと音楽が聞こえてくるのです。
ジャズですねー。BGMのある展示なんてあまり遭遇してなかったので結構びっくりしました。しかもそれがジャズだなんて。
村上春樹がジャズ好きだとか、そういう前情報がなくても村上春樹の作品をいくつか読んでいる人であればこのBGMでもう「この美術館。わかってる。」と唸ることまちがいなしです。
前半は『ポートレイト・イン・ジャズ』等のエッセイ集等の挿絵や『アフターダーク』の時計のイラストの原画の展示です。コマツは村上春樹の作品は長編しか読んでいないので、エッセイなどになると読まずにここにきたことを後悔してしまうのですが、『アフターダーク』原画などになると「あぁ、コレもそういえばイラストなんだな!」なんて。もうコア過ぎて嬉しくなりました。
とりえず合間を縫ってエッセイと短編もすべて読破することを誓ったのは言うまでもありません。
ものとしての本。そこからにじみ出る世界観を読む。
そして二階の展示室では『風の歌を聴け』から始まる青春三部作の表紙のイラストの原画とそれにまつわる逸話が展示されていたり、『羊男のクリスマス』の制作秘話や、絵の原画、『村上ラヂオ』の挿絵の原画が展示されています。
もうこの青春三部作の表紙の原画が見れただけで自転車一時間漕いで来たかいがありました。
特に『羊をめぐる冒険』の表紙がコマツはすごい好きで。物語にはない状況にもかかわらず、さも物語をしっかりと象徴している。この展示を見るまでは、言葉にできなくとも漠然とそんな感想を持っていたのですが、この展示でそれが確信に変わった気がします。
これらのシリーズの表紙は割と抽象的というか、細部を描かないような、イラストなのですが、流石というべきかやはりというべきか、物語の内容から多少逸脱したとしても、物語の雰囲気を丁寧に再現する。
むしろ物語の雰囲気を一枚のイラストに再現できるのであれば、作品の内容から逸脱することも辞さない。そんな気概が表紙のイラストにはあり、今回の展示ではそれらについても言及されています。
村上春樹の魅力はその物語の内容もさることながら、本になった時のその物取しての雰囲気すらも村上春樹っぽい。というところにもあると思います。そしてそれに惹きつけられたという人も決して少なくないのではないでしょうか。
村上春樹が好きなんですか?じゃあ行かないでどうするんですか。
不意に展示室に響く『「危険な関係」のブルース』。きっとシビれること請け合いです。
危険な関係のブルース les liaisons dangereuses アートブレイキーArt Blakey
おやすみなさい。
【フランスの風景 樹をめぐる物語 -コローからモネ、ピサロ、マティスまで-】体験型教科書、あるいは美術様式800's~900's【美術館】
今日久しぶりに懐かしい友人に会いました。偶然新宿で働いてるという情報を見つけたので会いに行ったのですが、久しぶりすぎてちょっと恥ずかしくなってしまいました。友人の職場で近況報告やら何やら30分くらい立ち話して、全然連絡も取っていなかったので連絡先確認して、
「年取るに連れてみんな就職したりで変わっちゃうね。」
なんて言ってたのですが、みんなおんなじように変わってるし、皆おんなじように変わってない気もします。やっぱり友だちに会った時はその当時のテンションになる気もするのですがどうなのでしょう。
こんばんは。コマツです。
『樹をめぐる物語(損保ジャパン日本興亜美術館)』行ってきました。
印象派だけじゃないよ!
とりあえず先日の記事の中で印象派をざっと浅く広く観るために、なんて書いたのですが、印象派だけではもちろんありませんでした。
本展覧会はロマン派やバルビゾン派にはじまり、印象派を経てフォーヴまで、「樹木」が風景画の展開にどのような役割を果たしてきたのかを展覧します。絵画の独立した主題として樹木を描き、樹木を介した光と影を追求し、その色や形を絵画の要素としてとらえた画家たちが、「樹木」をどのように描いてきたのか、フランスを中心とする国内外の美術館、ならびに個人所蔵作品から樹木に対する画家たちの想いが込められた作品約110点を展示し、その変遷をたどります
(損保ジャパン日本興亜美術館HPより)
ちゃんとホームページにも書いてありましたね。
いいですか?ロマン派から始まってフォーヴまでの「樹木」の風景画が展示してあるんですよ。決して印象派のみの展示ではありません。
ロマン主義からというと1800年代くらいでしょうか。一応学校では1820~と教わったのですが。
そこからフォーヴィズム?でいいのかな?までとなると1900年代序盤ということになるので、ざっと百年分の美術様式の歴史がざっくり揃ってるということになります。地味にちょっとスゴいことですね。これ。
それだけにその時代の移り変わりみたいなものがしっかりと見れた気がします。まぁ、ある種壮絶な勘違いをしていたコマツは完全に
「印象派を目当てに行ったミーハー野郎」みたいになっちゃったんですが。
それも印象派のことなんて前日にネットでちょこっと調べてわかったようにブログに書いているような男がですよ。
印象派とその流れを捉える。
でもまぁ印象派に意識を向けて見てみるのは方法としてはありだったように思えます。というのも展示作品の半分以上が印象派かそれ以降に印象派から派生した様式だったので、印象派のことがちょっとわかってると、
「ふむふむなるほど印象派ねふむふむ」
「ふむふむなるほど新印象派ねふむふむ」
「ふむふむなるほど点描画ねふむふむ」
とわりと印象派以降の様式には流れがあるというか、これは印象派のここがこうなってこうなってるのか。みたいなことまで意識できた気がします。
なぜここまでわかったような口がきけるかというと、それは展示方法にあるのです。ざっくり言うと体験型教科書みたいなものでしょうか。
教科書のような展示。
実際の絵画を見ながら、そこに添えてある作家のプロフィールや、技法、画材の説明、様式の解説まで事細かにフォローしてくれているのでコマツのようなわかってない人でも概要くらいはつかめるような展示になっているのです。
そしてもちろん油彩の点数は多いのですが、水彩画、ガッシュ、デッサンなど樹をモチーフにした作品なら何でもと言った風に集められているので絵画というものを幅広く楽しむことができるかもしれません。
ただ大前提として「樹木」の絵ばかりなので人物画は一切ありません。あしからず。
THE WHITEST BOY ALIVE "1517" // EB.TV Live Classics
おやすみなさい。